コロナ事態の中で見つめるべきこと。市場経済原理で考えると、人間社会が見えなくなってしまうと思う。

7月2日発表の、東京都の新型コロナウイルス感染者数が100人を超えたという報道が流れています。しかし、この数字が、まさに氷山の一角というか、実態を示していないことは明らかです。そもそも、きちんと感染者検査をしていないのだから(責任逃れに、夜の街を狙い撃ち?の感が強くあります)。それに、東京都小池知事は6月30日に早々と「東京アラート」などの数値基準も無くしてしまいました。国が「専門家会議」を無くしたのも、同じようなことで、要は「経済活動」の障害になるものを排除するということだと思います。政府や都は、たぶんいまだに「カジノ観光やら(文化遺産観光の陰に隠れていますが、カジノ観光志向は消えていません」「オリンピックバブル」も、あきらめ切れていない?

ところで、今回のコロナ事態で、明らかになったことに、「不要不急」のものがあります。最近の経済の動きの中で最も顕著な「不要不急」は、たぶんサブプライムローンで、これがリーマンショックという事態につながっていきました。東日本大震災を経験した日本は、過剰な「電力」やそれを過剰に作り出そうとする「原発」や、「文殊」やら「普賢」を知りました。そして、コロナ事態の中で考えると、 日本のような「先進国」でのオリンピックも「不要不急」だし、そもそも、マスクや消毒用アルコールという「必要・緊急」物資が無くなる中での、商品市場に氾濫していたさまざまな商品も、かなり「不要不急」です。私は、過剰な労働も「不要不急」だと思っています。

ところが、政府や財界や、怪しげなIT業界は、コロナ事態のもとで、ホームワーク・テレワークやら、新しい生活(ニューノーマル)に力を入れています。これも眉唾物。その多くは不要不急ではないか?無理矢理「不要」な「仕事」をしかも、個人の生活に踏み込んでまで=個人の生活空間と生活時間に食い込んで作ろうとしているのでは? そう思ってしまうのは私だけでしょうか?

私たちは、リーマンショックを経験して、市場や資本の怪しさに気がつきかけたのに、このコロナ事態においては、なんか、無理矢理そのいったん破綻した「市場原理」に引き戻そうとする動きが(特に日本では)強くあるように思います。

この考え方、まだ未整理ですが、今後ゆっくり考えていきたく思います。それが労働組合・ユニオンの今後のあり方にも、たぶん深く関係するはずです。このブログは、基本は労働運動を考えるものなので、そろそろ本筋に戻りたい、都考えています。

で、今後の検討予定。
1.この100年間、世界はどう変化したか?
2.日本はいまどのような位置に置かれているのか?
3.日本における労働運動を振り返り、これからを考える。
 (「制度的」な日本に特殊な労働運動とユニオン=個人加盟合同労組運動を振り返る)
4.労働者の生活と、時間と空間、そして権利を守るための労働運動とは?

以上、少しばかり風呂敷を広げておきます。

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