そして「令和」は、やはり漢籍を踏まえての「仲春令月 時和気清」で落ち着いたようです。

令和について、前の書き込みで終えようとしましたが、ネット上に様々な感想が出て、ネガティブなとらえ方を嫌ってか、「令」の字をやたらに良い字だとする迎合的な意見が目立っていました(石破茂さんは正しくも異論を掲げていたけど)。酷いものになると、「令」の字について「命令する」こと「言いつける」という第一義的な意味に触れずに、むしろ副次的な「めでたいこと」「良いこと」のみ語る「漢字の説明」すら出ていました(こういうのは「斟酌」というか「忖度」というか)。

しかし、それらのアーノコーノという意見のやりとりの後、時間が経つにつれてまともな見解が専門家から出されてきました。曰く、オリジナルは後漢代の文人「張衡」の詩「帰田賦」にある。その「仲春令月 時和気清」(仲春の令月、時は和し気は清む)を、当時のインテリである大伴旅人が踏まえて書いた万葉集の文ではないかと。これは説得力のある解説です(ロバート・キャンベルさんはオマージュであると語っていますが、その見解すっきりしています)。

「令」は「和」とセットで、「漢籍」の文脈で捉えるべきなのでした。

「令」が人に命令する「令」だとすると令和は、「おとなしくして!」「まとまれ!」「打ち解けろ!」みたいな意味でになるけど。万葉集の言葉を漢籍を踏まえて解釈した「令」なら結局は、中国と日本のつながりを示すものとして「令和」それもいいんじゃない?となりそうです。


追記(4月2日)
 中国サイドあるいは中国語話者から、「令」は「零」と同じ音(声調も)、だから「令和」は「和が零」(和していない)ではないかという、揶揄が投げかけられていますが、ここは万葉集の時代あるいは後漢の時代には、令と零は音が違っていたという指摘をしておきたく思います。
 カタカナとローマ字だと正確には書けないけど、令はリエン(lieng)、零はレン(leng)だったみたいです。これは藤堂明保先生の「漢和大辞典」によります(辞典では音声記号で音が示されています)。

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