気がつくと、「おれんじの樹」は10年目。いま、ビルマには希望の光が見えて、このブログはさらに続きます

気がついたら、この「おれんじの樹」は10年目を迎えていました。

このブログで扱うテーマは開設したときから「労働組合」そして「ビルマ」が中心です。これはこのブログの基になっているHPの「オレンジの樹」も同じです。ただ、HP「オレンジの樹」のほうは、全国の労働組合「リンク集」にかなり力を入れていて(そろそろ、リンクのチェックをしなければなりません)、どちらかというと労働組合に力点が掛かっています。そしてブログ「おれんじの樹」はブログの利点を生かして情報発信が中心、しかもビルマの民主化運動中心です。

この10年間、ビルマ情勢は大きく動きました。暴政といえるビルマ軍事政権権力は、いま徐々に解体されています「民主化」に向かって、かつて軍事政権の中枢にいたテイン・セイン大統領は大きく梶を切り、10年前には考えも出来なかった政権批判を行う出版物がビルマのまちまちに溢れています。この間の民主化の動きの中心はなんといってももドゥ・アウンサンスーチーですが、いまビルマの民主化過程は民主化運動の象徴としての彼女から、徐々にビルマ大衆へと受け継がれつつあります。

私(ならんは)が、ビルマの人々と関わり始めたのは1988年だったと思います(はじめはビルマ語もまじめに習っていましたが・・・・)。そのころは、西武新宿線の「中井」駅周辺に「リトル。ヤンゴン」とも呼ばれたビルマの人の大きなコミにティーがありました。ほどなく私はボランティアとしてビルマ人のための日本語教室に関わり、最盛期には毎週日曜日に数百名もその「教室」に集っていました。その「日本語塾」は、その後幾多の変遷を経て、いまではその流れを受けた他の方々がしっかりした日本語教室を開催しています。一方、私も細々とした「日本語塾」を続けています(なんと20年を超えている!歳をとったわけです)。

この20数年間に、私が知り合ったビルマの人(各民族)は優に1000人を超えます。そして、その中には「不法滞在」で強制的にビルマに帰国させられた人もいれば、日本での希望を失ってさらに第3国へ旅立っていった人もいます。当然、日本にもビルマの知人がいます。うれしいことは、最近の「民主化」の動きの中でこれらのビルマの知人たちに希望の表情生まれてきたことです。実際に出会う人も、電話の向こうにいる人も、メールや手紙の文章の中にも、希望の光が見えます。

こう書いていると、なぜか胸がじーんとしてきます。様々なビルマの人たちの顔が目の前に浮かんできます。

といういうことで、これからもビルマに関する情報を、微力ながら発信していきたく思います。出来れば、その情報が少しずつ「政治向き」から「文化向き」に変わることを願いながら・・・・。

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