「電力バブル」の崩壊、その怪しげな「安全神話」。

「電力バブル」ともいうべきものが崩壊しました。

「電力バブル」は、1980年代後半から90年代初頭にかけての「土地・不動産バブル」、2008年秋までのUSAでの不良債権バブル(サブプライムローン仁象徴される)に匹敵するか、それ以上と思えます。

これらの「バブル経済」は、その基礎に、どう考えてもおかしいもの(怪しいもの)があって、その怪しさがバブル的な「価値」を持ち、その虚構の価値の上に経済活動がなされてきたということが共通項です。

かつて、土地バブルの時、銀婚・証券関係者や、政府関係者・評論家(海江田万里氏もその一人)は、まるでそのときの好景気が確固たる基礎を持ち、それによって日本はとても豊かになっているかのように語り、そして多くの国民達はそれを信じていました。

サブプライムローン破綻を引き金にしたリーマンショック以前には、金融工学という怪しげな錬金術師達(ノーベル経済学賞というお墨付きまでもらっていた)が、市場原理の合理性を主張し、そのバブルを支えました。

そしていま、東日本大震災をきっかけに起こっている事態は日本における「電力バブル」の崩壊です。私たちは夢のような電力源である「原子力発電」の安全性神話のもとで、「クリーン」で「エコ」な電力として、それへの依存を強め、私たちの産業、市民生活を電気で彩ってきました。御用学者達がそれを支え、東電は重要な(事故についても含め)ほとんど資料を公開せず、東電の幹部ら(パート労働者まで組織率100%の電力総連=労働組合も)は「神話」に使える神官をのごとく振る舞ってきました。

しかし、それは根本的に怪しい代物で。すでに中越地震において柏崎刈羽原発では深刻な状況が発生していました。にもかかわらず東電はこれを押し隠し、押し隠すが故にさらに安全神話をまき散らしました。

いったいどれだけの「電気」が私たちに必要なのでしょうか?

市場原理主義・新自由主義は私たち一人一人を「消費者」として市場の中で位置づけ、そしてその一人一人から可能な限りの「利潤」を得ようとします(個人の側からは、できる限りの豊かさを求め、エネルギーを消費します)。

そして、電力不足が起き、その都度、原発が「公認」され、気がつけばそれに大きく依存している現状を生み出しました。原発は麻薬のようなものです。使っている限りは、それに酔いしれているが、一端重大な事態が生じると・・・・。

今後は、緊急の問題として福島原発の事故対処が必要になります。事態は深刻です。放射性物質の拡散問題は長期的問題です。そして、今後の電力不足に備えなければなりません。インフラ、医療・福祉というものが、ことごとく電力に依存しる現状は社会に大幅な節電を強います。しかし、その強いられた状況が私たち日本の本来の姿なのかもしれません。

今後10年以上、日本は電力(原発)バブルの後処理に追われることになりそうです。

最後に、東電、原子力関係の専門家や評論家、そして地震学者たちは、今回の大地震と原発事故を「想定外」で済まそうとしているようですが、それは許されません。それは自分たちの勝手に定めた「想定」に過ぎず、素人目にも、想定できるのではと思えます。学者や東電の発言を聴いていると、土地バブル時代の銀行マンの弁、リーマンショック前の経済(経営?)学者達の論調を思い起こしてしまいます。

福島原発の状況は

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