チュニジアの「ジャスミン革命」とビルマの「サフラン革命」

チュニジアの「ジャスミン革命」は、強権政治体制下にある他のアラブ諸国に大きな影響を与えています。

ところで、いま成功しつつあるように感じる「ジャスミン革命」と、対照的なのがビルマで2007年に発生した「サフラン革命」、ともに強権・独裁権力のもとでの、不公正な政治、経済における失政が原因となっていますが、より深刻な状況にあったビルマの「革命」は成就しませんでした。

今回のジャスミン革命は「革命」ですが、では、2007年のビルマの「サフラン革命」はどのような「革命」であったのか?

1988年8月、ビルマの民衆は長い間独裁体制を敷いていた「ネ・ウイン」をその地位から引きずり下ろす運動を成功させました。この運動には労働者達や一部の兵士も参加し、それはまさに「革命」と呼べるものでした。その後、この「8月革命」は、軍のクーデターにより武力弾圧され、現在の軍事独裁体制へと引き継がれたのですが、その軍事独裁のさなかに軍の監視下で1990年5月末に行われた総選挙ではスーチー書記長の下に結束した国民民主連盟(NLD)が80%近い議席を獲得する圧勝(多くの軍人もNLDに投票した)しました。これはビルマの政治史上における、まさに「革命」でした。私は「90選挙革命」と呼んでも良いと思います。少なくとも、この総選挙の時、ビルマには、広範な支持基盤がある「革命」の条件があったと思います。

結果的に、1990年の総選挙結果を軍事独裁者達は無視し、その後さらに投獄と拷問を伴う政治弾圧体制を強めました。

1988年の「8月の革命」、1990年5月の「選挙革命」から2007年の「サフラン革命」まで、ビルマにおいては、反軍政の立場での政治活動ができない状況が続きます。スーチーさんは自宅軟禁され,NLDの活動は封じられます。大学は長く閉鎖され、体制翼賛組織が全土に根を張ります。

2007年の「サフラン革命」は、このような弾圧体制が極限まで達していたとき、国民の最後のよりどころである、僧侶達が平和に行進したことで始まり、人々がそれに応えて(僧侶を守るためにも)街頭に出ました。しかし、それは組織されたものでなく、「祈り」のような精神的運動だったのではないでしょうか?

結果的に軍による僧侶への弾圧(暴行と僧院の破壊)、参加者への銃撃によって蹂躙されたこの「サフラン革命」ですが、それが果たして「革命」であったのか?

私は、「サフラン革命」は「革命」でないと考えます。むしろ「サフラン悲劇」あるいは「サフラン行動」と呼ぶのがふさわしいのではないでしょうか?このサフラン(僧侶の僧衣の色がサフラン色)の運動を、安易に「革命」と呼ばずに、ビルマの政治運動史の中で正確に分析することが必要なのではと思います。それはビルマ社会における僧侶の社会的地位と政治運動の関係、政治組織なしに行われる運動の問題点を把握し、今後の民主化運動のためにも必要なことであると思います。

ビルマの民主化運動には、革命にしろ大規模な政治活動にしろ、それを行うための組織と準備が必要です。NLD(国民民主連盟)は、昨年の「総選挙」への参加を巡っての意見調整が上手くできませんでした。今後は組織体制の整備が求められます。あえていえば、民主勢力側の「革命」が必要なのではないでしょうか?

ところで、ビルマの民主化運動にかかわる各グループは、なぜネ・ウイン体制を打ち倒した1988年8月の運動について「革命」という言葉を使わず、2007年にのみ「サフラン革命」という言葉を使うのでしょうか?

ビルマの民主化運動にかかわっていると、時々用語の「ズレ」に戸惑うときがあります。

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